信州市田酪農

信州市田酪農について

1.信州市田酪農はじまり

信州市田酪農のマーク昭和41年(1966年、お茶の間で『笑点』が始まった頃!)信州市田酪農の前身となる新生市田酪農組合が発足しました。

へぇ。と思ったそこのあなた。これには意外と深い意味があるのです。
酪農といってもあまり馴染みのない方が多いと思いますので、より身近な農業と比べてみましょう。畑、田んぼを持っていれば、作物を簡単に売れますよね。
隣にちょっとおすそ分けも簡単にできる。

しかし、酪農はそうはいきません
そもそも、大手食品メーカーが利益を上げるために酪農工場を建てる。といったかたちが多かったのです。

つまり、地元の酪農家たちは一生懸命、愛情を込めて育てた牛から搾った生乳を大手メーカーへ出荷するしかなかったのです。また酪農組合も大手メーカーの影響を大きく受けていました。

そんな状態に疑問を覚えていた、長野県高森町の酪農家たちはついに独立を決意したのでした。
しかし、独立は簡単ではありません。大手の下での安定を捨てて、0からの挑戦がはじまるのです。
当然反対した酪農家もおり、町のなかで、反対派と賛成派に分かれて対立が起きました。

たくさんの話し合いを設けて、農協の応援もあり、ついに200戸の酪農家たちが協力して新生市田酪農組合が誕生したのです。

2.自分たちの工場を持ちたい

乳牛平成5年頃(1993年Jリーグ開幕。バブル崩壊の頃!)近所の皆さんに自分たちが生産した牛乳を飲んでもらいたいとの機運が高まってきました。
農産物の輸入自由化が進み、先行きが不安定な中、自分たちの手でなんとかできないだろうか…
何とかするには、消費者の皆さんと手をつなぐことを考えなければ…

酪農家のお母さんたちが立ちあがり、まずは人参ジュースを作って売り出しました。

平成7年頃、ついに工場建設の夢が現実のものに!
酪農家たちが約3,000万円のお金を出し合い、ちいさな工場を作りました。

平成7年12月(Windows95発売された頃)、酪農家の女性を中心にして、町内の家庭に「私たちの作った牛乳・ヨーグルトを飲んで欲しい」との思いが高まり、販売を開始しました。
地元の方に飲んでもらえるには、どうしたら良いか…おすそ分けの精神で1,300のお宅を1軒、1軒まわって想いをお伝えしたところ、なんと全体の53%にあたる700戸が契約してくださいました!

地元で生産される生乳のみを使用しおり、大量生産はできないため、大きな流通にはのせず、ひとりひとりのお客様にお届けできる通販スタイルを大切にする。というやり方は、この時の経験が活きています。

3.おいしいヨーグルト

酪農家の工場だからこそ、地元で生産される生乳のみを使って製品が作られます。また、市販のヨーグルトの多くで安定剤や酸味料などの添加物が使われていますが、1mm中平均5億個から多いもので8億個の乳酸菌による丁寧な発酵によって酸度を決めるいちだヨーグルトでは、添加物をつかっていません。

いちだヨーグルトについて詳しくはこちら

おかげさまで多くのお客様にいちだヨーグルトをご愛顧いただいております。平成29年に実施させていただいた商品アンケートでは、わたしたちにとって大変嬉しい結果を頂戴しています。

平成29年8月お客様アンケート結果はこちら

4.信州市田酪農のこれから

信州の風景平成28年4月、農事組合法人だった私たちは株式会社へ移行しました。 株式会社にすることで、もっとたくさんの人と繋がることができる。 酪農にはなかなか、若い人たちは入ってきてくれないのが現状です。 これからも信州市田酪農の商品をお客様に届けるため、商工会や地元企業と 協力して邁進しております!今後に、とうぞご期待ください。